三苫薫選手(正しくは「三笘」)は、日本代表にも選出されたプロサッカー選手。
筑波大学、川崎フロンターレを経て、2024年現在はイングランド1部ブライトンに所属しています。
実家はどこにあるの?お金持ちって噂は本当?
今回は、三苫薫選手の実家がどこなのか、ご家族のエピソードも交えて調査しました。
- 三苫薫の実家はどこ?
- 三苫薫の実家の家族はどんな人?
- 三苫薫の実家や地元でのエピソードを紹介
地元の「さぎぬまサッカークラブ」でサッカーを始め、小学3年生から川崎フロンターレU12に所属しています。
ここからは、実家周辺の様子や家族との関わりについて紹介するので、チェックしてみてください。
三苫薫の実家はどこ?
三苫薫選手の実家は、神奈川県川崎市宮前区鷺沼にありました。
川崎市宮前区は渋谷まで約20分でアクセスできるため、都心に通勤する人が多く新興住宅地が広がっています。
鷺沼にはフットサル施設「フロンタウンさぎぬま」やグラウンドもある「鷺沼公園」があり、三苫薫選手も子どものころは利用していたのでしょう。
ちなみに出生地は川崎市ではなく大分県日田市で、小学校入学前ごろに引っ越してきました。
「三笘」という名字は福岡県糸島市や大分県日田市に多いそうです
下記の地元の公立学校を卒業し、高卒直後にトップチームへ入団するのではなく、筑波大学体育専門学校へ進学。
- 川崎市立鷺沼小学校
- 川崎市立有馬中学校
- 川崎市立橘高校
大学生のときは一人暮らしをしていたと話しているので、それまでは川崎市の実家で暮らしていたようです。
三苫薫の実家はどんな家?
実家は神奈川県川崎市宮前区鷺沼にありましたが、現在は転居した可能性があります。
三苫家はお父さんが陸上、お母さんがバレーボール経験者といわれており、アスリート一家なのでしょう。
さきに習っていたお兄さんの影響で、5、6歳ごろからサッカーを始めたそうです。
ご両親ともに体育会系ですが、トレーニングなどに口出しすることはなく、そっと見守ってくれていたとのこと。
両親ともにプレーについて何かを言ってくることは特になかったと思います。そっと距離を置いて接してくれたのがよかったですね。
引用:サカママ
派手な応援もせず、こっそり試合を見に来ていたんだとか
ほどよい距離感で接してくれたからこそ、練習やトレーニングに対する自主性が身に付いたと話しています。
三苫薫のご両親・ご家族はどんな人?
三苫薫選手のご両親・ご家族がどんな人なのか調査しました。
- お父さん:NHK技術スタッフ
- お母さん:一般の方
- お兄さん:結木滉星さん(俳優)
- 奥さん:剱持クリアさん(陸上競技選手)
お父さん
お父さんのお名前は「武史」さんで、NHKの局員であるという報道がありました。
技術部門の責任者であるテクニカルディレクターをつとめ、紅白歌合戦など看板番組にも関わっているそうです。
NHKの管理職は年収約1,200万円といわれているため、実家はお金持ちだと考えられます。
また、2022年に行われたインタビューで、お父さんの年齢が54歳であることがわかりました。
オーストラリア戦で2得点を挙げた日本代表MF三笘薫(24)=サンジロワーズ=の父・武史さん(54)が、W杯に導いたドリブラーの素顔を語った。
引用:スポーツ報知
同じインタビューでは、カタールW杯アジア最終予選のオーストラリア戦での活躍がうれしいと答えていました。
お母さん
お母さんは一般の方であるため、お名前や職業は公開されていませんが、バレーボール経験者といわれています。
小学3年生から川崎フロンターレU12に所属していますが、そのときからお弁当の用意など、身の周りのサポートをしてくれていたとのこと。
フロンターレU-12では夜の9時、10時まで練習することもあったのですが、毎晩母が晩御飯を用意して待ってくれていました。それは中学、高校になってもっと帰宅時間が遅くなっても変わることはなかったです。
引用:サカママ
川崎フロンターレアカデミーでは、保護者向けの栄養指導があり、お母さんもそれを参考に食事を作ってくれたそうです。
川崎フロンターレU12のセレクションをすすめてくれたのも
ご両親なんだって
お兄さん
お兄さんは俳優の結木滉星さんで、3つ年上です。
高校生のときにスカウトされて、芸能界を目指すことになったとのこと。
弟が三苫薫選手であることは、2023年4月放送の「ネプリーグ」で、原田泰造さんからたずねられて明らかになりました。
スーパー戦隊シリーズでパトレンジャー役を演じるほか、映画俳優や雑誌モデルとしても活躍しています。
結木滉星さんも、小学1年生から高校までサッカーをしていたそうです。
奥さん
2022年に陸上競技選手の剱持クリアさんと結婚しています。
筑波大学体育専門学群のときの同級生で、競技の専門は三段跳びと走幅跳びとのこと。
高校生のときは山梨県高等学校総合体育大会にて、三段跳びと走幅跳びで3年連続優勝しています。
お姉さんの剱持早紀さんも、同じく三段跳びの選手で、2024年現在も競技を続けているそうです。
三苫薫の実家でのエピソードを調査
実家や家族に関するエピソードを調べたなかから、興味深いものを3つ選びました。
- 実家の隣に松重豊さんが住んでいた
- 田中碧選手は小学生からの幼馴染
- 実家のリビングに小さなサッカーコート
1. 実家の隣に松重豊さんが住んでいた
子どものころ住んでいた川崎市のマンションの隣の部屋は、俳優の松重豊さんのお宅だったそうです。
家族ぐるみの付き合いがあり、子どものころは松重豊さんの家のソファでゲームをしていたことも。
松重豊さんは2016年ごろにマンションを引っ越し、その後、三苫家も引っ越したとのことですが、ご両親は今でも交流があるとのこと。
◢◤🏆#ワールドカップ まで5日🏆◢◤
— サッカー日本代表 🇯🇵 (@jfa_samuraiblue) November 15, 2022
俳優・松重豊さんからメッセージが届きました📣
松重さんは、子供の頃の三笘薫選手 @kaoru_mitoma のお隣さんでした。当時の三笘選手とのエピソードを語って下さいました。#三笘薫#jfa #daihyo #SAMURAIBLUE #サッカー日本代表#つな超え #新しい景色を2022 pic.twitter.com/kZXaGiOK8N
2022年には日本代表へメッセージを送り「またうちのリビングでゲームでもしてくださいね」と語っていました。
ご自身のことを「隣に住んでいたおじさんです」と話していました
2. 田中碧選手は小学生からの幼馴染
日本代表の田中碧選手は同じ小中学校の1学年下で家が近く、小さいころから三苫薫選手とお兄さんの3人で遊んでいたそうです。
また、地元のサッカークラブから川崎フロンターレアカデミー、トップチームまで長年一緒にプレーしてきました。
最終的には2人とも代表選手に選ばれ、W杯では三苫薫選手がアシストして田中碧選手が得点を決めるなど、感動的なエピソードが話題に。
2人とも川崎市宮前区鷺沼の「さぎぬまサッカークラブ」出身であるため「鷺沼兄弟」として知られています。
3. 実家のリビングに小さなサッカーコート
子どものころ、お父さんが家の中に小さなサッカーゴールを置いてくれたそうです。
薫も兄もサッカーが好きだったので、家のリビングと隣の部屋をつなげて、小さいゴールネットを置いてあげました。軟らかいボールを使って、2人でしょっちゅう「右隅狙うぞ」「今度は左隅だ」と言いながらシュートしてましたね。
引用:スポーツ報知
ご本人もお兄さんも、やわらかいボールを使って、暇さえあれば家の中でシュートやドリブルをしていたとのこと。
1対1のドリブルを得意とするプレーの原点は、幼いころに遊んだ自宅のサッカーコートにあるのでは?といわれています。
まとめ
今回は三苫薫選手の実家はどこなのか、ご家族とのエピソードとともに紹介しました。
出生地は大分県日田市で、小学校入学以前に川崎市宮前区へ引っ越してきたようです。
お父さんはNHKのテクニカルディレクターで、お兄さんは俳優の結木滉星さんでした。
ケガが心配されたけど2024-25シーズンは大活躍!
今季も目が離せませんね!
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