辻仁成さんは、小説家、ミュージシャん、映画監督、脚本家として多彩な活動を展開するクリエイターです。
1997年には、『海峡の光』で芥川賞を受賞し、繊細で深い人間描写と独特の文学表現が特徴で、幅広い読者層から支持を得ています。
辻仁成さんの実家がお金持ちって本当?
この記事では、辻仁成さんの実家やご家族について調査しました。
- 辻仁成の実家はお金持ちかどうか
- 辻仁成の実家の家族はどんな人なのか
- 辻仁成の実家がお金持ちだといわれている理由
彼のルーツを知ることで、より辻仁成さんの魅力が見えてくるかもしれませんね。
辻仁成の実家はどこ?
辻仁成さんの実家は、福岡県福岡市博多区です。
福岡市の中心地で、博多駅や福岡空港を中心に交通の利便性が高く、ショッピング施設やビジネス拠点が集まっています。
「博多祇園山笠」などの伝統的な祭りや博多ラーメン、もつ鍋などご当地グルメが有名ですよね。
また、東長寺や櫛田神社など観光スポットも多く、歴史と現代が調和するエリアです。
辻仁成の実家はお金持ちって噂は本当?両親の職業は?
辻仁成さんの実家は、比較的裕福だったと考えられます。
ただ、お金持ちであるとは断言できなかったため、ご両親の職業に注目してみましょう。
お父さんの職業:保険会社の会社員
お父さんの名前は辻信一さんです。
辻仁成さんはお父さんに抱っこしてもらったり、語り合った記憶はないものの、キャッチボールを教えてもらった記憶はかすかにあるぐらいだとか。
怒鳴られたりびくびくしていた記憶の方が多いそうです。
厳しくて怖いお父さんだったのかな…
お父さんは会社に尽くす猛烈社員だったそうですが、ライバルに敗れ最後は窓際族に追いやられたそうです。
その父が僕にこう言い残した。「ひとなり、自分の人生なのに人に尽くし過ぎた。お前は我儘に生きていけ」と。
引用:滞仏日記
そんな悔しい想いをしたにも関わらず、お父さんはそんな姿を見せず、いつもニコニコしていたそうです。
またお父さん、実は息子が作家になったことを喜んでおり、近所の本屋さんにも通い詰めていたのです。
すごく喜んでる♪
辻仁成さんがそのことを知ったのは、お父さんが亡くなったあとでした。
2007年頃にお父さんは亡くなりましたが、そのときに辻仁成さん一家が驚くほどの人が集まり、お父さんについて語り涙したということでした。
山笠の台上がりをしたこともあるそうで、社交的な面もあったようです。
辻仁成さんも仰っていましたが、口下手なお父さんだったのかもしれませんね。
お母さんの職業:専業主婦?
辻仁成さんのお母さんの名前は恭子さんです。
お母さんは子どものころから料理を勉強しており料理が上手で、テレビや映画あるいはレストランなどで見知った西洋料理をメモし、自宅で再現していました。
ネットがない時代に作るなんてスゴい!
「外の世界は怖い。おかしなことを言ってくる連中ばかりだ。それが世界というものだから。いいか、鍵をかけて、ぼくが帰ってくるまで外に出ないように」
このようなことを父さんは母さんに命じたのである。
引用:ダ・ヴィンチWEB
辻仁成さんのお父さんはお母さんを溺愛するあまり、一人で外出するのを制限していました。
そのため、お母さんは専業主婦だったことが考えられます。
ただ、お母さんは長年刺繍をやっており、講師を務めたり、支部長を務めたこともありました。
素敵なバラ!本物みたい
今だに87歳(2022年時点)の恭子さんに刺繍協会の先生が習いに来るほどの腕前で、上記画像の恭子さんの薔薇は有名なのだそうです。
ただ、いつ講師をしていたのか、収入の有無はわかりませんでした。
辻仁成の実家がお金持ちと言われてる理由とは?
なぜ辻仁成さんの実家がお金持ちと言われているのか、理由について調べてみました。
- お父さんが会社の社長候補
- 実家から援助があった
- 親族の職業がスゴい
それぞれ詳しく見ていきましょう。
1.お父さんが会社の社長候補
辻仁成さんのお父さんは保険会社の会社員でした。
晩年には窓際に追い込まれてしまいましたが、社長になるかとも言われていました。
周囲から認められるほどにかなり優秀な仕事ぶりで、収入も多かったことが予想されます。
2.実家から援助があった
辻仁成さんは、25歳でソニーレコードからデビューするまでの間、アルバイトの他、実家から支援を受けていました。
「母さん、お金がないんだ。食べることが出来ない」
引用:滞仏日記
母さんは、息子が心配なので、へそくりとかを送ってくれる。
でも、それじゃあ、ぜんぜん、足りない時があった。
はじめてECHOESで東名阪ツアーをやった頃で、まだデビュー前、なのに、お金が必要で、催促を続けた。
ぼくは母さんがいつもへそくりを送ってくれていた、と思っていたのだけど、それは、母さんじゃなくて、父さんだった。
現金書留で3万円とか、多い時は5万円くらい入っていた。
リハーサル代や楽器代ですぐに金欠になっていた辻仁成さんに、度々送金していたことからもそれなりに裕福だったことが予想されます。
3.親族の職業がスゴい
辻仁成さんの母方の祖父の今村豊さんは、戦時中は鉄砲の名士として知られていました。
「今村製鉄所」を創業し、中九州一円で成功を収めました。
戦後は仏教に帰依し、自動三輪耕運機、海苔の巻き上げ機や乾燥機など、数々の機械の開発してきました。
珍しい白仏が収められていて、人骨で作られています。白仏造立を企画したのが辻仁成氏の祖父です。この話をもとに描かれたのが、芥川賞作家である辻仁成氏の[白仏]です。
— kei (@kobayashi3120) May 10, 2023
気になる方は福岡県大川市にツーリング!✨🏍️✨✨ pic.twitter.com/0ijnCjJmth
辻仁成さんのおじいさんもおじさんも、市会議員もしていたそうです。
さらに父方は地主の家系で、両親の実家の経済力の大きさがうかがえます。
辻仁成さんの実家が裕福だったという噂が広がったのかもしれませんね。
まとめ
今回は辻仁成さんの実家がお金持ちなのか、ご両親の仕事や収入もあわせて調べました。
ご両親のご実家に財力がありそうなことはわかりましたが、辻仁成さんの実家がお金持ちとは断言できませんでした。
お父さんは保険会社の優秀な社員で、お母さんも刺繍講師をしていたこともあり比較的裕福な家庭であったことが考えられなます。
様々な方面で活躍している辻仁成さんの今後が楽しみですね!
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